ホワイトチョコレートモカフラペチーノのグランデで。あっ、あと追加で キャラメルソースヘーゼルナッツシロップ チョコレートチップエキストラホイップの エスプレッソショット一杯で。
「あれ?ここ、前何のお店だったっけ?」
地元を歩いている時にふと思う。
いやむしろ地元を歩いている時にこそそんな感覚に襲われる。
これ、意外と思い出せない。
建物や店舗といった比較的スケールの大きい話なのに、日頃それの存在は当たり前すぎて、変化後には変化前の状態を簡単に想起させてもらえない。
これがなんとももやもやする。
写真を撮るときというのは大抵、心が動いた瞬間にである。
主役を決めそれを引き立たせる写真を撮る。それは作品性を意識してシャッターを切っている。大体僕もいつもそんな感じで撮っている。50mmレンズで。
でも一回、意識の外をあえて意識して一見「何でもない」風景を撮る。
いつも見慣れた風景を撮る。35mmレンズで撮る。
(なんてったって僕の手元にあるのはM2だからね)
ぱっと見何の面白みもないのであろう。
でもきっとその写真にはかけがえのないものが詰まっているはず。
この当たり前の風景は案外貴重なものなのである。
あの時の日常は今の非日常。
日常の非日常性。
小指に付けた粗塩とごま油
あいこです。
タイトルは僕の最近のおつまみです。塩で酒が飲める歳になってしまいました。
味噌をあてに飲むことはメジャーですが僕は味噌汁をあてに酒を飲みます。
変なのって言われました。
ちなみに味噌汁の具にじゃがいもは入れないで欲しいです。
話が逸れかけましたが、今日は最近の趣味をご紹介したいと思います。
それは、日本酒のラベル収集です。冒頭から察して頂けたとおり酒の話です。
もともとお酒なら日本酒が一番好きで、日本酒にはいくらでも金を掛けられる性分なのです。
これが始めてみると小学生の頃のトレーディングカードゲームのコレクションみたいでめっちゃ楽しい。
レア酒を見つけるとつい購入してしまう。
男の子って誰しもコレクター癖あるよね。
ここで面白いのは、ラベルを瓶から剥がそうとして初めてわかる酒造毎のラベルの寸法や接着剤の質の違い。
寫樂で有名な宮泉銘醸さんと、榮光冨士で有名な冨士酒造さんは他社より一回り大きいです(私調べ)。
接着剤は簡単に剥がれるものとガチガチのものがある。横山五十は最強クラス。マジガチムチ。我らが20を擁しても歯が立たなかった…
こんなことをしようと思い立ったきっかけは、黒龍酒造さんの石田屋を定価で購入できる機会に恵まれたから。定価でなんてなかなか手に入らないらしい。せっかく購入できたし入れ物等も保管しておきたいな、と。
瑠璃色の瓶がとっても美しいね。日に当てるとよくわかる。
今思えばあの酒のラベル取っておけばよかったなーなんてのも数えきれないほどある。コレクションあるあるだよね。あの時のあれなんで手放しちゃったんだろうって。これはキリがないから、割り切るしかない。
そんなこんなで日本酒好きが高じて実はこの夏、日本酒検定も受験しました。
論文書かずに酒の勉強してました。試験科目にはありませんが主な勉強方法はテイスティングです。
この日本酒検定、3級から始まり2級, 準1級, 1級と4段階あり、飛び級禁止で年1回しか開催されておらず、1級獲得には最短でも4年かかる仕組み。年2回くらい受験させてくれてもいいのに。
僕は初めての受験だから3級から。もちろん合格しました。来年は2級取ります。
日本酒用のインスタアカウントでも作ろうかね。
▼ゾーンとチラリズム
「覗く」という行為は、覗いた先の世界への没入である。
byあいこ
(なんと9ヶ月ぶりの更新にして連投という気まぐれスタイル。まぁいいじゃない。)
最近M型ライカを買った。M2。これについてはたくさん話したいことはあるけど、まぁまた今度ってことで。
今日はそのライカのファインダーを覗いた時のお話。そう、
#ファインダー越しの世界
である。エモいのである。
さて、M型ライカのファインダーが素晴らしいことは周知の事実であるが実はこのファインダー、覗くとレンズの先端もファインダー内に入り込んでくるのだ。
もちろんブライトフレーム内にはレンズは見事に被らない設計になっているが(当たり前か)、覗き込んだ時、ブライトフレームの中にのみに没入するわけではないだろう。
ファインダーを覗いた時、ブライトフレームの外側が見えていない、という感覚にはならないはずだ。
そういった意味で、撮影の時ファインダー越しのレンズの存在は否応無しに意識の内側にいる。
これがレンジファインダーカメラの面白さの一つだと思う。
つまり、その世界の切り線となるファインダーの枠に世界を切り取る道具自体が入り込んでしまっているのだ。世界の内と外が繋がってしまっている。
ここで思い出すのはエッシャーの「画廊」という作品。僕の大好きな作品。
これに関して以前記事を書いた。この作品が関係しているとは言ってなかったけどね。
本題からは逸れるのでこの辺で。
エッシャーの作品にしろカメラのファインダーにしろ、入れ子の構造になっているのがポイント。
撮影者は切り取られた世界に没入しようとするもレンズの存在によって撮影者がいる世界引き戻されてしまう。
この意識の往来を繰り返すのである。
なーーーんて知ったようなことを書いたけど、これはフィルム装填前にファインダーを覗いた時の感覚で、写真を本当に撮ろうとはしてない時のものでした。
フィルムを入れて、いざ撮影!!!となると、なんと!ブライトフレームの内側しか見えない!!!ブライトフレームの外には白いモヤが立ちこめる!!!
なーーーにが「意識の往来を繰り返す」じゃ。
上に書いたことを意識してからも、ファインダーを覗いた瞬間にはそんなことは意識から外れ、レンズの先端は見事に視界から消える!すげえええ!!!
僕の意識と視点は二重像の合致、そこしか見えてなかった!
こんな感じで思弁的なのはダメだね。
やっぱカメラは経験、身体感覚だね。
あぁ明日も何かを撮りに行きたいな、このカメラでシャッターを切りたいな。そんなことを毎日思わせてくれるライカは素晴らしい。
そのファインダー越しの世界をいつまでも見せておくれ。頼むからバルサムよ切れないでおくれ。
そういえば #ファインダー越しの世界 タグを使ってる人、
iPhoneにはファインダーついてないの知ってるんかな。もしかして外付けファインダーでも使っとるんかな。
かっこいいな。
そんなんあるんかな。
ないよな。
心のファインダーかな。
心のファインダー使いかな。
もしかしてLeica MDa使いこなせちゃうんじゃないかな。
見せてくれ、その心のファインダーで切り取る世界を!!
豪速球を投げたら地球一周して自分の頭に当たった
昔から映画が苦手。
最初からこの後2時間拘束されるという覚悟をしなければいけないから。現代っ子でしょ?
ガーリーレコードチャンネルの1分半くらいの動画で丁度いいのよ。
映画館自体も苦手。おしっこ行きたくなるから。万が一のことを考えて絶対端の席取るもんね。
最後に映画館行ったの「君の名は。」の時だと思うんだけど、残り1時間は膀胱の破裂と隕石の衝突どっちが先かってレベルだった。
って感じで金曜ロードショーはオープニングの世界観だけで満足してしまうような人間なんだけど、最近映画を観るようになったのだ。これは教養を身につけようということで、ショーシャンクとか時計仕掛けのオレンジとか名作って言われるものをとりあえず見てみようと。なにせAmazon prime会員だからね。アニメしか見てなかったね。
今日観たのはインセプション。
当時の予告編から面白そうなSFだなと思ってたけど今更やっと見ましたよ。
これについて思ったことを備忘録代わりにつらつらと。見たことある人を前提に話を進めるからまだ見てない人は見てきてください。
ストーリーは略すとして、この映画の主構造は
・夢の中に入れること
・夢の中の更なる夢に潜れること
・夢の階層が深いほど時間経過が相対的に遅い
・夢の中を他人と共有できること
多層共有明晰夢って感じかね。
感想を一言で言うと、そこまで面白くなかった。
クリストファー・ノーラン監督の作品は複雑?と聞いてたけど、インセプションは結構シンプルに感じた。その分期待値ほどではなかったからそこまで面白さを感じなかったのかも。
1番の原因は、以前(2017年10月5日)に4重の夢を見たことがあって、なんとなく感覚がわかったからかも。
なんで日付まで覚えるのかと言うと、面白かった夢は起きた瞬間iponeのメモに思い出せる限り速く箇条書きでいいから書くようにしてるのだ。数年経ってから見返すと結構楽しいよ。
んで僕の夢は時間経過の相対的な速度の差とかはなくて、もちろん他人とも共有されてない。
さっきの主構造の上二つが当てはまる感じ。
簡単に内容を説明すると、
最初の夢はなんてことない夢だった。
具体的には『孤独のグルメ』で有名な松重豊の妻が松井一代だったという話。松井一代と船越さんの一件見たいのは世間が思っているようなこととは違うんだ、と松重豊が熱心に訴えてて、全ては地元の団子屋が仕組んだらしい。(※僕は当時のメモを忠実に再現しているだけです)
で、この夢から目覚めると僕の部屋。ベッドの上。変な夢見たなぁと思って部屋の窓を見ると大量の精神安定剤が貼ってある。
何故か大学同期が僕の部屋にいて、2人で自撮り写真を撮ると僕の顔は寝たまま。でも意識は確かにある。あれ?これ幽体離脱???とか考えてるときに夢の中の夢であることに気がついた。これが次の夢ね。
頭の中はその同期といる夢を見てるそれに合わせて寝てる体が動いてるんだけど、ろれつが回らない。
僕の部屋にはロフトがあるんだけど、そこにかかっているはしごから落ちてみたりもした。
現実の僕は昏睡状態かーでも夢の中でも生きていられるならそれもいいかなとか思って少し怖かった。(とメモに書いてある)
ちょっとインセプション味あるでしょ?
またここで場面転換してまた次の夢。
次は雑居ビル。
窓から飛び降りたら目がさめるかもとか思うけど、現実の世界と区別がつかない今、それをやるとやばいのではと思い留まる。
また別の同期とエレベータで鉢合わせて傘をドアにはさむ。これ夢かなと聞いたら夢なんじゃない?と言われた。
雑居ビルから出ると制服姿のキャッチのお姉さんを見るこっちへ来たので逃げる。雰囲気は歌舞伎町ぽい感じ。100円風俗てきな案内も聞こえる。ラスト15分用の100円らしい(どゆことだろう)。夢だから風俗でも行ってやろうかとか思ったりしてるところで目を覚ます。
起きると自分の部屋。
さっき窓に貼ってあった精神安定剤も無くなってた。これこそ現実かー、と思ってリビングへ向かうと、弟やワンコたちが寝てた。
そういえば昨日お前(弟)酒の飲んでたもんなぁ、おきろ…
ってところで本当に目が覚めた。
現実かと思ってたのが最後の層の夢だった。
そしてその目覚めた時刻が4:44…
めっちゃ鳥肌立ったのを覚えてる。
最初の夢が1番深い4層目の夢だったってこと。
そりゃちょっとインセプション物足りなく感じるよ。実際自分で経験あるんだもん。怖かったもん!!
あと、今日言いたいのはもう一点。
インセプションでこうしたらもっと面白い?やばい?んじゃないかと思った点について。
これはストーリー構成とか度外視して、単純に夢の中の更なる夢、深い夢に潜れるって構造に対しての話。
それは、
夢の中の夢、の中の更なる夢………の中の………ってなった時に、どこかの層が上の層に繋がってしまったら、ということ。
具体的に言うと、5層目に潜った先が実は1層目でした〜みたいな。こうなると何が起こるかと言うと、夢から出られなくなる。
本来、死んだら上の階層に戻れて、最終的には現実に戻れる一本道の往来なはずなのに、どこかでループを作っちゃうと、5=1→4→3→2→1=5→4→3…
ってなっちゃう。
この時1番面白いのは爆睡している自分自身を観測できるってこと!!!
これこそまさに客観視だね!!!
この感覚すっごく重要だと思うんだけど共感してくれる人いないかな。主観と客観と同時に知覚するのよ。
僕は普段から無意識にやっちゃってるんだけど、例えば人と話す時、僕の視点とは別の2つの視点をイメージしちゃう。
一つ目は相手見えてる景色。僕の後ろとか僕の表情とか。
実際には視界に入ってないけどイメージはできる。僕の後ろで何が起きているのか。
もう一つの視点は、僕の後方1m高さ2mの位置から前を見てるもの。つまり自身の背中越しの視点ね。
自分の本当の視点を含めて計3つの視点を同時に知覚(?)しながら生きてる(気がする)。
多分こんな感覚が身についたのは四次元空間を見れるようになってからだと思う!
四次元空間の遠近法を利用した四次元空間内でのだまし絵とか作っちゃうようになってからだと思う!!!!
なんでかって言うと、四次元を見る方法ってこの異なる視点の同時知覚がミソだから。
どんどん内へ、どんどん深く潜って行ったら、あれまいつのまにか1番外に居ました。
この感覚。ね。ギィニュゥゥゥってねじ込まれていく感じよ。
わかるかな〜〜〜わからんよな〜〜〜
特戦隊じゃあないよ。
2日で書いた論文が査読を通ったお話。~次元と入れ子と遠近法~
「ねえ、論文出さない?」
助教からいきなり電話が入った。修論提出の3週間前程の出来事である。
いや、もちろん出すに決まってんじゃん…と思っていたら、なんと修論とは別で国際学会の方の論文ということであった。
聞けば提出期限は5日後とのこと。ふと思い出したから連絡してみた、と。
全く無茶を言う助教である。修論も佳境に差し掛かっているいるというのに今言うか。呆れる反面この程度のことでは驚かない。
なにせこの助教、新入生の歓迎パーティ(総勢約150人)の食事をドミノピザ2枚で済ませようとした人間である。1枚買うともう1枚タダ、で済ませようとしたのである。
しかもこれは経済的な観点からではなく本気でピザ2枚で足りると踏んでいたのだ。僕の理解の範疇をとうに超えていた。
さて、どうしたものか。本当にやるのか、と尻込みしていたら、「博士行くなら今一本出しておけば凄く楽になるよ」とそそのかれ、それならばと修論の合間を縫って取り掛かることとした。ただし期限は5日後。修論もやりながらだと実質2日程度しかこの論文には充てられない。これは手持ちのネタを論文にするしかないと思い、1年ほど前に思いついた「4次元空間における遠近法と、それを利用した錯視立体」についてまとめることとした。
概要は発表前なので具体的な内容は割愛するが、ポイントを簡単に。
目の錯覚・だまし絵とよばれるもの中に遠近法を利用したものがある。
その絵にはある入れ子状のグリッドが隠れており、それをベースにそのだまし絵は描かれている。(具体的には内緒)
そこでまず、入れ子と遠近法および次元の関係について述べておく。
[fig.1]を見ていただきたい。
この図を2次元的視点でみると、正方形の内側のもうひとつ正方形が描かれているように見えることができる。いわゆる「入れ子」というやつだ。ただし、我々は3次元人であるため3次元の視点も持ち合わせている。その3次元的視点で見ると、これは上から箱を覗き込んでいるように見える。これこそ遠近法であり、このとき箱の底面の中央に消失点が現れる。
つまり2次元で「内側」だったものは、3次元では「奥」になるのだ。
ここで重要なことは、同じ図形を異なる次元で知覚できる、ということ。
では次元をひとつ上げてみよう。[fig.2]を見ていただきたい。
[fig.1]におけるSquare-in-SquareはCube-in-Cubeとなる。(見慣れた正八胞体ですね)
そしてこの時、我々は「内側」にしか感じることができない内側の立方体が、4次元人にとっては「奥」として知覚できるものであることを理解していただきたい。
3次元で「内側」だったものは、4次元では「奥」になる。[fig.1]の場合と比較してみて欲しい。
またこのとき、次元をひとつ上げたため、「消失点(0次元)」に相当するものは「消失線(1次元)」となるはずだ。 Square-in-Squareの消失点は正方形に関してx,y方に対称な2次元上の点であることを考慮すると、消失線は立方体に関して x、y、z方向に対称な3次元空間内の線であり、それはつまり立方体の体対角線となる。
(なお4次元空間内ではこの消失軸は実質「面」である。これは消失点というのも3次元的にみれば絵画の面に対して垂直な軸線でもあるということ同じだ。)
先に述べただまし絵に隠されたグリッドというのは[fig.1]の特性を利用して描かれているものである。
グリッド自体は2次元。そのグリッドを基に3次元人である我々が、2次元と言う紙面上に3次元を描き、それを3次元人が知覚するから錯視が起こるのである。
ここでひらめいた。
[fig.1]の次元をひとつ上げた[fig.2]のを利用すれば4次元上のだまし空間なるものの基準となるグリッド自体は3次元空間でつくれるんじゃね、と(元のグリッドを内緒にしている時点で作り方を説明できないのでこのロジックも内緒)。4次元人がこのグリッドをうまく利用して空間を作れば4次元人のためのだまし立体なるものをつくることができる。もちろん僕ら3次元人はそれを楽しむことはできない。4次元人のみぞ知るところ。
っていう3次元グリッドが作れましたよ、というのが論文の内容。(何学会なのかわかる人にはわかるはず)
もちろん既往研究・参考文献なんて一切見てないし(論外)、ただの思い付きをまとめただけなので内容が合っている確信もない。むしろ有識者の方がいらっしゃったら教えて頂きたいくらいだ。これを論文としていいのか甚だ疑問ではあったが、とりあえず出してみた。
そしてその結果がつい先日送られてきた。
査読者2名。1名「accept」1名「strong accept」。
すとろんぐあくせぷと......つよい…...
「出せば通る」とは聞いていたものの、初めての査読論文、初めての国際学会、やっぱりちょっと嬉しかった。
ということで今夏強い人たちにボコボコニいじめられることが決定。乞うご期待。